「ネイティブアド」や「コンテンツマーケティング」について
昨年から、「ネイティブアド」や「コンテンツマーケティング」について、「どう考えています?」と聞かれることが多くなりました。
実際、2015年の予測の中でも、コンテンツが重要視される、と自分自身でも言っていますので、まさに今話題のキーワードなのだと思っています。
正直、呼び方はそこまで意識しておらず、あくまでも「ユーザーファースト」で、ユーザーに価値のある情報を届けられるのであれば、そこは気にしなくていいのではないか、と思っています。
ただ一方で「ネイティブアド」という言葉を盾にして、ユーザーを不快にさせている広告がチラホラ見受けられる気がしています。
僕の方で、勝手に分類しているネイティブアドの考え方は下記のようなマトリクスになっています。
※ネイティブ広告を、枠の話とコンテンツの話とで混合して話しているケースがあり、それがよくある誤解の原因だと思っていますので、解釈で混合しないように分けている、というのがこの分類の意図です。「コンテンツ型~」って別に記事広告と呼ばれていいと思っています。
ネイティブ広告のよいところであり、かつ注目されている理由は、上のマトリクスにあるように、デザインシームレスな点。つまり「媒体の一部に溶け込んでいるデザインだから、ユーザー体験を阻害しない。さらにこれまで広告をクリックしてきたようなユーザーとは違うユーザーにアプローチできる」点なんだと思っています。
実際に、ネイティブ広告は新規ユーザーの獲得率がこれまでよりも高い結果が出ていることが多いようです。
ここまでは問題ないと思っています。ただ、デザインを溶けこませていれば、なんでもいいでしょ、と言わんばかりに、記事コンテンツのフィードの中に、記事と思わせておいて、エントリーページへ誘導をはかったり、アプリのインストールページに誘導させるものがあったりします。この「記事と思わせておいて」が問題なので、行く先がアプリのインストールページだと分かっていれば、ユーザーも不快にはなりません。
ここは媒体の方も、自分たちの媒体が何を載せているどんなメディアなのか、ユーザーは何を期待して来訪しているのか、その期待とネイティブ広告のLPは合っているのか、といったところまで気にかけて欲しいと思っていたりします。媒体側がちゃんとしていれば、そぐわない広告は自然と淘汰されてくるはずです。
そうしないとすぐにユーザーに嫌われて、むしろ媒体のイメージ悪化につながりかねません。そうなると引き続き「広告は嫌なもの」というイメージから逃れられなくなってしまいそうです。
▼広告は嫌なものではないよ、というのはこのあたりにまとまっているかと。
Amazon.co.jp: 広告なのにシェアされるコンテンツマーケティング入門: 谷口マサト: 本
また、上記の本のタイトルにも使われている、「コンテンツマーケティング」についても問題が起きているように感じています。
あくまでもコンテンツなので、商品やサービスのことを言わないようにしよう、という動きがあるのですが、そうしているうちに、マーケティングの目的までも遠くなってしまって、何がしたい記事なのかわからなくなっているケースがあるように感じます。
読者にコンテンツを読んで(見て)もらって、何を感じて欲しいのか、感じた結果、どうなってほしいのか、といった部分が重要なわけで、それもなく、単純に話題に登ることやリーチ数だけ求めてしまっても、バズったけれど、何にもつながっていない、なんてことにもなりかねません。
一本の記事コンテンツだけで空気感を作ることは難しいと思いますので、それぞれの場での役割をもたせ、一本のストーリーを作り上げられるくらいになってはじめて、コンテンツによるマーケティングはできるのではないか、と思っていたりします。
こうした目的を失ってしまった記事コンテンツが作られる一方で、SEO目的のために、価値の薄い記事コンテンツを大量に生成している例も見受けられます。
似たような記事を複数作ったり、wikiなどの内容をただつなげるだけだったり。これも読んでくれたユーザーの方に何を届けたいのか、というのを置き去りにして、ただリターゲティング用のCookieを溜めたいだけだったり、とにかくSEO順位をあげたいだけだったり、と、ユーザーのことを向いていないコンテンツマーケティングもどきだと思います。メディアをやる、コンテンツを作るというのは、こうしたユーザーと向き合うことが全てなんだと思います。
以前にセミナーに出させていただいた時に、「コンテンツマーケティングにとって大事なことは何か?」という話になった際に、皆さんが口を揃えて「ユーザーファースト」と答えていましたので、その方向に向かっていくのが当たり前であり、健全なのだと思っています。